校長挨拶

学校の先生だったわたしがこんなことを始めることになったのには
幾つものエピソードがあります。

何よりわたしが学びたいと思ったことを教えてくれる場所が無かったことです。

昔のわたしは心の悩みがブレーキになり、頑張っても夢が叶わない、ならばメンタルを扱おうと心理学を学び、成功してお金持ちなりたくてもなれないからと成功哲学を学び何をやっても上手くいかないと悩みもがいていました。

いつも空想していたことは

何にも束縛されない自由な人生を送りたい。
毎日好きなことで遊びながら暮らしたい。
世界中を旅して人生を送りたい。
物心両面で豊かにな人になりたい。
そのためにも、お金持ちなってみたい。

でも、お代官様や越後屋みたいにはなりたくない。思いやりのある人間になりたい。
そんなことでした。

下世話なところでは、ベンツに乗りたいとか、ROLEXの時計が欲しいとか・・
そんな思いも思い起こすと、はじめはきっとあったかもしれません。

初めの動機はそんなモノです。
いつか、お金持ちになり何事にも縛られない自由な人生を、世界中を好きな時、好きな人と旅しながら生きてみたい、単純極まりなくこんなことから道は開かれました。

そして、勇気を出して脱サラをしてその道を歩んでここまで来る間に
たくさんのお金持ちや成功者たちと出会うことがあり、自宅へ寄せていただき、
そこでスタッフをしたり、弟子入りしたり、一緒に商売をしたりしながら沢山の教えを頂いてきました。

ふと気づくと、12年の月日が流れ、世界の環境は大きく変わり、日本も大きく変わろうとしている今、同じように考えているのに、いつまでもその先へ行けずにもがいている沢山の人がいることに気づきました。

人生は長いようで短いのが現実です。その中、学ぶ順序を間違えると思うゴールへは辿りつけずに多くの方々一生を終えているように思います。

そうだ、僕が成功者の人たちに教えてもらってコトを
今度は僕が学ぶ環境とチャンスを少しでも提供できる環境にいるかもしれない。
もしそうなら、必ず必要をされる人が集まるはず。

その人達が喜ぶ顔が見たい、かって僕が感動したように。
その人達が成長し仲間を見つけ、一緒に歩み、応援と支援が出来ないものかと考え
このスクールを立ち上げることになりました。

そして、そのスクールの中核をなすのが
コーチングでした。夢を叶えるためには、椅子に座って知識を学ぶ入試や卒業証明書のための勉強ではまず難しいでしょう。夢を叶えるためには、それなりの知識やスキルが必要です。

そして、出会ったすべての経済的自由人にはメンターがいました、心のコーチです。
そう、豊かな経済的自由人を目指すには、何より必要なのがコーチだったのです。
オリンピックの選手にはみんなコーチがいますよね。

ボクシングのチャンピオンにもコーチがいますよね。
歌手にもトレーナーがいたりします。

学校教育は何のためのものか?
何を手にするためのものか?
誰のためのものか?

そう考えた時、答が見えてきました。

そうか、、、、勉強することは間違っていなかったけど
動機が間違って教えこまれてはいないか?

親も、教師も悪気はないけれど
一番肝心なことは教えてくれないことに気付いたのです。

実は、自分がここまで来れたのはコーチがいたからです。
メンターと呼ばれる心の支えがいたからです。
たまたまいつも、その時に一番必要なコーチと出会えていました。

でも、みんながその必要なときにコーチはどうやって見つければいいのか?
そんなにゴロゴロそのレベルの人はいないぞ。。。そうだ!

じゃー、僕がコーチを育てよう。
ならば、先ずは僕がコーチになろう。

コーチ?
コーチングって・・?

それが始まりでこのスクールが立ち上がりました。

もし、みなさんが経済的自由や時間的な自由を求めているなら、
しかも豊かに生きたいとか、自分らしく行きたいとか、考えているならなおのこと
とても役に立つものとなるでしょう。

僕は大学卒業後ずっとサラリーマンをしました。それが当たり前でしたが、心の奥で
このままでは僕の思う人生にはならないと感じ思い出したのでした。
幼少期の記憶を・・

当時、昭和の高度成長期に入ることです。僕は下町の狭い路地裏に住んでいました。
多分お金のそれほどない家庭だったかと思いますが、とても幸せな子供時代でした。

ある日、大富豪の老人との出会いがきっかけで豊かな大人になりたくなります。
そして、お金持ちとそうでない人の間にあるものってなんだろう?
漠然と考えたのが始まります。

子供の頃の刷り込みは
勉強すれば、いい学校へ行けば、有名大学へ入ればいつか「お金持ち」になれる
でした。学歴さえあればお金持ちになり、幸せになれると本当に信じていました。

そう信じて頑張った挙句が「ノイローゼ」と「潰瘍」でした。
医学部を目指し、医者になればお金持ちなって「幸せに」なれると信じてました
その思いを確かめることなく挫折していきます。

当時はまだ 勉強出来る=お金=幸せ でした。

親父は、「あいつは、もうあかん」とまでいいました。
悔しくて、悲しくて、苦しかったのを覚えています。

そんな僕を救ったのは書店で見つけた一冊の心理学の本でした。

目を閉じて、仏壇の前に座り、ひたすら自己と向かい合う毎日を
過ごしました。

やがて、光が観えました。。。
そして、完治します。

心と向きあえば病気も治せる。
病は気からなんだとつくづく思いました。

「俺、、違うことをしていたんだ」とその時少しだけ気づくことができました。
そんなとき、自分に何ができるだろうか?

その答えが人を教え導くことでした。
当時はまだおこがましい考えで一杯でした。

そして、自分にできることは
同じ間違いを冒している多くの子供達のいる学校での仕事でした。
当時まだその対象は10代でした。

同時に、自分が置き忘れてきた10代を取り戻すための時間でもありました。

教師になってからも、自分と同じように頑張りすぎて心が閉ざされたり
壊れていく子どもたちの心のケアに励みます。

自分が立ち直った道での体験が彼らの役に立つのではと工夫します。
しかし、自分の狭い経験からの限界に度々ぶつかります。

そんな折に出会ったのが心理学を使った自己成長セミナーでした。

人の心を癒やしたり、開放したりできる仕事がある。
自分が変化したことを人に教えてあげたり、変化を助けたりできることを知ります。
いつか漠然とこれを仕事にできないものかと考えることになります。

そして、カウンセリングを学び、人の心だけでなく身体と心の関係も学ぶことになり
インドへ行き、アメリカへ専門の勉強をしにいきます。

それは、同時に自分を発見する旅でもありました。
現場での閉塞感と限界を感じ、その後脱サラ。

それは、10代の子どもたちとの関わりから頑張っても上手くいかない
大人たちとの関わりへの道へ歩み始めることになります。

脱サラ後、バイラルマーケティングの世界で人を育てつつ起業する仲間を
多く育てる中、どんなに頑張っても

「できる」人と 「できない」人

がいることに気付き、研究し始めることになります。
たくさんのセミナーを受け、たくさんのセミナーを主催してたくさんの人を観察することになります。

豊かに生きる人と、苦しみながら頑張ることだけで精一杯な人たちがいる
本当はみんなどうしたいのか?!

ある人は豪邸に住み、ある人は長屋に住んでいます。

それぞれがそれを好んで選んでいることにも気づきますが
それよりもはじめより選択肢が与えられていないことに気づくことになります。

はじめから成功する人がいます。
成功しても大変な人もいます。

頑張っても成功できな人もいます。
頑張るほどに自分だけでなく、周囲も大変にしていく人もいます。

経済的に豊かなのに性格良くない人と性格いい人
経済的に困っていても性格いい人と悪い人

お金のあるなしと幸せが関係ないと人はいいつつ
事実はそうは考えていません。

子どもたちはそれが分かります。

本来生まれた時には、丸裸です。
地位も、名誉も、お金や、ブランドとも無縁です。

明治維新より百数十年経って、世の中はお金が主軸で回るようになりました。
しかし、一輪車が不安定であるように二輪車のほうが誰にでも乗りこなせます。

つまり、お金とお金では買えない物事です。
その二輪です。

そして、二輪より四輪だとも考えました。
お金と仲間と時間と健康

それらを乗りこなせる時
本当の豊かさが手に入る

どこにでも好きなときに行ける
誰とでもいたい人といれる
欲しい物やことがいつでも必要なだけ手に入る
なりたい自分になれる

そう、僕の目指していたのはお金持ちではなく

豊かさ溢れる人生であり
心豊かな仲間の溢れる世界だったのです。

そこにたどり着く途中で出会った心理カウンセリング、コーチングなどを通じて
フト気づくと自分の天職にたどり着くことができました。

周りを見回すと、大勢の人が時間やお金に追われています。
人の目を気にして、自分らしさを押し殺しています。

働かないと何かを失う そんな恐怖の追い立てられながら
人々は眉間にしわを寄せて、、日々過ごしています。

僕がそうであったように
彼らがそこから出ることを望むなら手伝いたい

そして、伊木の豊かさ・幸せコーチングを広めていくことで
カッコイイ夢を叶えていく仲間をたくさん作ることができ、世界を
笑顔溢れる本当の豊かさにこどもやおじいちゃんやおばあちゃんで一杯に
出来ると本気で夢見ています。

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